17:いつも通りのこと。

2011年3月13日日曜日


昨日はバイトで、終って打ち上げして、友達んち泊まって、いつもの一日でした。
同期のひとりがラストバイトで、目の前にいる子と出会えていっしょに仕事を頑張れたことを、ちゃんと紙に書いて感謝した日でした。


高校の授業で鮮明に覚えてるのは、キリスト教学の授業で、教頭が話した理解すること、のはなし。

understandほど、難しいものはない
その人たちの下の立場に立ってはじめて、理解する、っていう言葉になるんだ

わかる、なんて、簡単に言ってはだめなんだって、教えてもらった授業でした。

他人に寄り添うのはあまりにも難しい。だいたい普段の生活で、友達とか、彼氏彼女とか、両親の立場と気持ちに寄り添うのも難しいのに、これだけの被害と、それを受けた人たちの状況を、理解するなんて無理だ。

報道が重なるたびに恐怖は増すし、Twitterはとても活躍したけど、粛々と正しいことしか言えないような雰囲気がたまにこわい。

それでも私は恐怖をわかってないと思う。新しい被災時の映像から伝わる凄まじさなんて、なんの理解の足しにもならない。

事実を知ること、情報を知って、できる範囲で考えて動くこと、がとりあえず最善なのかな。あとは、自分の無力を理解することぐらい。

被害を受けてない身は、無力を理解して、毎日を生きて、自分をしっかりさせて、社会貢献につなげないといけないんだろうな。
当たり前って言われるだろうけど、今後、自分の身だけでもだめだし、今、いきなりの社会貢献の力もないし、という2つの結びつきの大切さを、わたしはよく忘れてしまうので覚書。

被災者の方への応援ツイートが、自分自身へのはげましツイートに変わっている、って肯定的につぶやいてる方がいたけど、私も、不謹慎なのかもしれないけれど、学んだり、反省したりできたことは、悪いことではないと思うな。
と、いうか、それをしないのはそれはそれで今後がだめになる。


Twitterが就活生へコメントが多くて、少し不安になったけど、森本千絵さんのように、デザインとアイデアで貢献してる人もいる。

自分が選んだ方向でも、きっと将来何か返せるはず。
インフラに従事されてる方、医療、救命を仕事をにされてる方を、敬う気持ちは変わらないけれど、世の中には、必要なことを、必要な時にしてくれる人たちと、不要で必要を超えてくれる人たち、がいると思う。もちろん今、直に頑張ってくれてる方は前者だけど、後者の力も信じたい。


モラトリアムをもらって出遅れるけど、その分蓄積しなければ。
社会を知らなさすぎること、関わらなければいけないこと、受動的であること、ほんと短期間しか就活なんてしてなかったけど、気づいたことはたくさんある。短期間でもして良かったと思う。辞めたのが正しいどうかは結果論だ。




とりあえず、知ってる人たちとそのご家族が無事で良かった。。

となりでお父さんが寝てることをしあわせだと思う。昨日、友達にありがとうって書けたこと、いつも通りのお客さんがきて、いつも通りお店が閉まったこと、、いつも通りだらけがしあわせだ。



何もできない分、働いたお金ぐらいは明日募金しに行きます。うちの大学の生協でも受け付けてるみたい。
ボランティアは知識がないと今なんかほんとに無力で、後々の力仕事ぐらいだろうな…とりあえず、今できることはこれくらいなのかも。


前回の日記で、水について書いたこと、反省もしました。
確かにあの映像で、わたしはあまり恐怖を感じれなかった。ぞくぞくはしたけど。
でも、造波プールには少し恐怖を感じる。一番前にいって、足がつかなくて、波に頭までのまれるとき、ほんの一瞬だけど、こわいって思う。

どんな芸術品も、自然の瞬間的な美しさには勝てないと思う派で、それと同じく瞬間的な脅威に勝てないと思うからこその、水に対する羨望感が自分にはあるのかな。
羨望って不謹慎だけど、適した言葉がわからない。

そしてそれに向かいあってる人たちがかっこよくて、人の力を信じたい気持があるのです。


祈る、のは精神論で無意味かもしれない。
でも、各宗教たちが起こした過去のごたごたを経ても、祈る、という行為が今現在まで残ってるというこたは、祈りは本当に純粋な、人間らしい行動なんだと思う。

宗教は信じなくても、神様は信じる。
でも神様って、結局人なんだよな。


何もできないからこその祈りばかりだけど、届けば力になるのかもしれない。

留学のときに知り合ったスペインの子から、大丈夫か、心配してますってメールが届いた。ほんとに久しぶりだったし、わたしは被災者ではないけれど、どこかで心配してくれてる人がいることは、あったかい気持ちになる。

祈りがカタチになって届けられるようになったこと、は、ネットとソーシャルネットワーク社会のありがたさ。きっとまだ、電波なくてなにも届いてないんだろうけど、力になるといいなあ。



ご冥福をお祈りします。
そして、残られた方の安全と、これからを生きる力を。

実社会もネット社会も、批判より、希望と声かけで溢れたほうが、単純に、ほんとうに単純だけど、ずっといい。

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